着いてから二日二晩俺は飲まず食はずでひたすら眠った。尾籠ながら起き
上がったのは排尿のときだけである。はじめてオシッコをしたときには新しい
主人はだいぶ慌ててゐた。雫がたれてゐるのに、その姿勢のまヽ俺は抱き上げ
られて外へ出された。次からは俺が起き上がると外へ出されるやうになった。
人間も学ぶものだと思ふと俺はをかしかったが、笑ふ元気はもうなかった。俺
は腹も壊してゐたし、飲まず食はずで出すのだから、からだ中の水分が抜けて
行った。
三日目の朝、草叢に連れて行かれたときには、俺には排尿する体力も残ってゐ
なかった。坐り込むと草のいヽ香りがした。なにか、とてつもなく懐かしいこ
とを思ひ出した気がして俺は腹這ひになった。昔、ずっと遠い昔に、かうして
まどろんでゐたことがたしかにあった。俺は目をつぶって眠らうとした。それ
から先に起きたことは夢のやうで、現実感が希薄である。
俺は医者に運ばれ、医者の腕ほどの点滴を背中の皮下に受けた。背中が佝
僂のやうに盛り上がってゐた。暫くすると体力が戻って来たのがわかった。立
ち上がると背中のこぶが揺れて足がもつれたが、歩けるやうにもなった。
俺は、あのとき死の一歩手前にゐたらしい。注射の痛みすら遠い世界のできご
とだった。俺は自分が天涯孤独の身の上であることを受け容れてゐた。俺はあ
のとき死んだのかもしれない。俺の魂が肉体から離れるのが俺には見えた。生
きかへったいまとなれば、俺が死んだことはもはや思ひ出となって過ぎ去って
しまったが、この次には俺は自分が死ぬところを見届けたいと思ふ。中有にゐ
た俺はいまは俺のからだのなかにゐる。
生き返ったとき、俺は遺伝子の記憶ではない種の記憶を持ち帰った。
俺の遠い祖先は淘汰の使ひであった。病弱なもの、奇形のもの、以後は短
命と定まったものを俺達は粛々と殺した。むやみな殺戮を俺達はしなかった。
俺の直接の先祖は猪を狩った。猪は豚の原種である。手負ひの猪は猛獣である。
豚に種の記憶が甦へれば人間を噛み殺すこともある。先祖の記憶だから俺が自
慢すべきことではないのだが、思ひだすと血が騒ぐ。
人間と深く係はってから俺達は変はったらしい。もの心が付いたときには、主
人を求める自分の習性に俺も気がついてゐた。自分のために生きることができ
ない家畜は、成熟の機会を永遠に失った動物界の鬼子である。俺達は人間とい
ふ主人を選んだ。主人の手は神の手に等しい。撫でられるときはこよなく嬉し
いが、ぶたれるときは雷のやうに恐ろしい。人間がどこから来たかは知らない
が、家畜を造ったのは人間である。人間にとって家畜の魂の成熟は無用の長物
である。人間は俺達から成熟をとりあげて、それを棄てた。これは人間自身が
成熟を捨てたことにほかならなかったのだが、人間はそれに気がついてゐない。
進化史上、不適応のためにゆるやかに死滅して行った生物はおびただしい。
人間は、歴史の表面に現はれたと同時に、自分自身さへ駆逐しながら世界を席
巻した。適応の頂点に立ったのは人間であった。生物が絶滅しなかったのは人
間の個体数がすくなかったからに過ぎなかった。俺達は成熟の代償に人間性を
獲得して生き延びた。自然の掟に優先して人間の掟に従った。人間の掟は弱肉
強食である。食物連鎖の最上位に位置する人間は、たとい人口爆発を引き起こ
しても少数派である。人間に数の論理は通用しない。自分に通用しない論理を
人間は使はないからである。代はりに、人間は生きる権利を主張した。俺の子
どもたちの無惨な未来を俺は考へないことにしてゐる。俺達の寿命は長生きを
しても十六年。そのころには俺はふたたび死んでゐる。
俺達を造り変へた人間の行動原理の中で、気まぐれでなかったものがひとつあ
る。どん欲である。どん欲は、あるいは人間を理解する鍵かもしれない。俺は
さう思ふことがある。俺の新しい主人は、自分がその一員であるにもかかはら
ず人間をホモ・アヴァルスとののしってゐる。個人と集団は別な動物だと考へ
てゐるのださうだ。さう考へても主人が人間でなくなることはない。どん欲に
ついては俺なりにひそかに考へてゐることがある。時期が来て、かたちを成し
たら話せるかもしれない。人間が、ますます自分の中に閉じこもり始めたのは、
好意的にみれば捨てたものにうしろめたさを感じているからに違ひない。見な
いですますことができれば問題は存在しないに等しい。ただし見ないですます
ためにはすべてに目をつぶらなければならない。
自然の節度を失った俺達の野性は俺達の意志にかかはりなく昂進すること
がある。とりあへずは人間の節度をもって歯止めとするのだが、人間の節度は、
暴走する俺達の野性をねぢ伏せるほど堅固なものではない。
あなたがたがなにを思ってゐるかが俺にはわかる。人間以外の動物の知性を疑 ふ理由はない。俺には漱石先生の猫ほどの教養はないが、それは、耳学問の程 度が仕へる主人によるからである。もっとも天賦の才といふものはあるかもし れない。うちにも猫がゐて、主人にじゃれついては蹴飛ばされ、食卓に飛び乗っ ては新聞を投げつけられてゐる。日がな一日家の中に出没するバッタやカマド ウマを採って飽きないことからムシトリスミレと名付けられた。長いから省略 されて、いまはスミレと呼ばれてゐる。哀れなものだが、天賦の才は自分で選 べるものではないのだから誰が悪いわけでもない。自分の器から食ふことがで きれば上上吉としなければならない。
俺が家の中にゐたのは俺が死にかけた一週間だけだった。俺が元気になると主
人は犬舎をくれた。はじめて外で一晩過ごした日に俺にはわかったことがある。
夜は寒い。主人に訴へても主人はとりあはなかった。泣き疲れた俺は丸くなっ
て眠ってゐた。暖かかった。俺のからだが俺を護ってくれてゐた。以来俺は生
きることを俺のからだにまかせた。俺の興味はからだの外にあった。
ヴェランダのガラス戸越しに家の中が見える。主人が居眠りをしてゐる。そろ
そろ散歩の時間だ。起きて貰はう。散歩は俺の権利である。主人は義務を履行
しなければならない。